すべてのマンション業者がそうだというわけではないが、各種の広告媒体等でいかに美辞麗句をならべてみたところで、その本質は「経済合理主義の貫徹」がすべてに優先しがちである。法を犯すのは論外だとしても、建物の安全性が法を犯さない最小限に抑えられていたとしても誰も文句は言えない。逆に言えば激しい市場競争にさらされている業界にあって、間取りや広さや仕上げで究極の合理性を追求したとしてももう限界に近く、ほとんど他社との差違を見いだすことは難しい。そして最後に残った聖域が建物のすなわち構造部分だったというわけである。
かの業界の宣伝文句を思い出してほしい。曰く、「このマンションは地震に強く、国が決めた耐震基準を満たしています。」
しかし問題は国が決めた耐震基準を満たすかどうかは、設計を担当した構造建築士の「専門的工学的判断」に相当程度左右されるものであるということを、一般消費者や大多数の国民が認識していないことである。すなわちほとんどの人々は、国が決めた建物の安全性に関する絶対的な基準があり、このマンションはその基準を満足しているのだと思っている現実がある。そしてそのお墨付きを与えるものが「確認申請済」の公文書なのだと。
しかし現実の建築関係諸法では、確認申請審査機関にそこまでの責務を負わしてはいない。
一方消費者の側にも、「マンション構造安全神話」ともいうべき悲しい思い込みがある。
例えば、1000万円のベンツと100万円の国産車とを比較した場合、車のユーザーは当然のこととして両者の車の安全性に関して同等程度のものだとは思っていないだろう。
すなわち事実として両者の車には安全性に関して差違があって当然であり、それが価格にも反映されているものと当然に考えられているのである。しかるにマンションの購買者はどうだろう。彼らはえてして、安いマンションも高額のマンションも構造の耐震安全性に関しては同等程度にあると信じて疑っていないとみるべきである。曰く「国の耐震基準を満たしている。」しかし現実はそうではない。安価なマンションはそれだけの安全性しかないのは自明の理である。この消費者の「構造安全神話」が金儲け至上主義のデベロッパーの格好の口実になり、構造躯体がマンションの工事費減額競争のただ中にひきずりだされたと見ることが出来る。そしてその行き着く先が、法を犯してまでも金儲けに走った今回の事件であろう。