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カテゴリ:コラム「住まいづくり雑感」( 1 )
コラム「住まいづくり雑感」

住まいづくりは家族づくりの第一歩であり、終わりのない始まりである。

先年、縁あって名古屋市近郊に、小さいながらも念願の自宅を新築する機会を得ることができた。私は建築の設計を生業にしている建築家のはしくれ。それゆえ自宅の設計ともなるとやはり想い入れは人一倍強くなり、自ずと意気込みも違ってこようというものである。

計画当初は、願わくば建築家の自邸とかで建築雑誌に発表できればいいなと、ひそかに想い描いてもいたが、それは設計が進むにつれて、次第にしかし確実に脆くも崩れ去ってしまった。建築家としての力量不足。もちろんそれが最大の原因のひとつには違いないが、しかし結局のところ、住まいづくりは家族の有り様を知らしめてくれる試金石であり、それは現代社会の有り様と否応なしに向き合うことでもある。

私の家族達は皆それぞれ、あまりに凡庸かつ善良でおまけに自己主張が強いときている。提示する計画案は、あわれ彼らの意見の前にズタズタにされ、結果は高尚な建築雑誌ではなく、巷にあふれる住宅ファッション誌に出てきそうな凡庸な住宅建築が出来上がってしまった。しかしながら、これが我が家の家族ひとりひとりの住まい観の総和だとすれば、建築家というよりもまずは一家の主として、その結果を甘んじて受け入れざるを得ないのである。

それにつけても人間の欲望には果てしがない。しかもひとりひとりの欲望の対象が違う。そしてそれを助長する現代社会のこの情報の大洪水。長年同居生活をしてきたひとつの家族でさえこうなのだから、後は推して知るべし。現代日本社会の生活様式の多様化、価値観の多様化というよりもその混乱ぶりはここまで来てしまった。果たしてこの混乱を収束させる術はあるのだろうか。それは大袈裟に言えば、地球規模あるいは人類史的な視点からのひとつの主体的倫理観のようなものを、お互いに共有できるかどうかが問われているといってもいいのかも知れない。

そうはいっても、具体的に計画を進めていくためには、家族のすべてが最大公約数的に共有できる指針あるいはコンセプトをまとめなければならない。ちなみに計画当時の我が家の家族構成は、時々パートタイマーの妻と高校二年生の長女、中学二年生の次女そしてわたしの実母の五人家族。少し、いや圧倒的に女性陣が優勢とはいえ、世間一般によくある平均的な家族構成といえるかもしれない。

住宅は木造に限る。これはほとんど根拠のない妄信に近いが家族全員の総意なのだから仕方がない。しかも普段どちらかといえば鉄骨造や鉄筋コンクリート造の建物の設計が多い当人も隠れ木造派なのだから、これは如何ともしがたい。

平面計画の基本は、ひとつ家族だんらんのスペースを最優先させること、そして料理と食事のスペースを生活の中心にすえること。これは多分に三世代同居の女性陣優勢な我が家の素直な意見の反映である。その結果、個室はほとんど寝室機能のみとして最小限のスペースにとどめ、家族の日常生活を最優先して年に数回程度の使用しか見込めない客間は設けず、その分だんらんスペースを広く取ることとした。日常動線の中心にだんらんスペースを設けて、個室への動線は必ずだんらんスペースを通るようにすること、キッチンを住まいの中心に配置すること等が意見集約された。





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結果は設計意図どおりほぼ満足のいく出来ばえだったにもかかわらず、住み始めると各人の満足度はそれ程でもない様子。設計者からみれば余程贅沢に広くしつらえたつもりのキッチンスペースがそれでもまだ狭いらしい。娘達はあっという間に成人となり、了解していたはずなのに自室の狭さが気に入らない。それでも時々は親子でキッチンに立ち、家族全員でワイワイガヤガヤ食事ができるのを見れば、全体的にはまずまずの成果というべきかもしれない。

d0149706_10465491.jpg私達はただ明るいだけの均質な光環境に慣らされすぎてしまったのかもしれない。照明はできるだけ部分照明を多用して陰影を際立たせること。昼間は自然採光を旨として、陽の光や季節の移り変わりが実感できるような採光計画とすること。ただし設計者の崇高な啓蒙的意図に反して、この考え方は、妻も含めた年寄り達には今もってあまり共感が得られていないらしい。

日本の住宅は、夏は夏らしく冬は冬らしく、四季折々の寒暖の移り変わりを楽しむ心構えが大切である。その上での補助的な冷房であり暖房であると心得るべきである。ともすれば冷暖房共に効きすぎに陥りやすいから注意が必要である。ただし住まいの気密性と断熱性を
高めることは必要最低条件である。

d0149706_1047523.jpg日本の住まいは夏を旨とすべし。住まいの基本は換気であり風通しである。特に近年は各種建材から多かれ少なかれ発生するVOC対策いわゆるシックハウス対策としても換気が極めて重要である。

立地が都市近郊の住宅地ということもあるが、防音性の高いサッシを使用したことで外部騒音の遮断にはほぼ成功した。ただし室内遮音対策には思わぬ落とし穴があった。それは上下階の遮音性能で、特に二階廊下と階段の足音はほとんど制御不能状態である。これは特に木造住宅でよく陥りやすい事象のようで、対策としては一階天井内部に遮音材をいれる工夫が是非とも必要である。

意図した訳ではなかったが、結果として吹き抜け部分や天井の高い室内空間は音の響きが素晴らしく良い。吹き抜け空間の是非については好き嫌いもあって議論の分かれるところだが、室内音響的な視点からの議論があってもよいのではないかと思える。

住まいづくりは予想以上に悪戦苦闘の連続であった。その最大の要因は不覚にも我が家族間のコミュニケーション不足である。まがりなりにも建築家のはしくれを任じている一家の主と、長年ひとつ屋根の下で生活してきた妻や子供達なのだから、何も言わずとも住まうことに
関する共通の価値観を共有しているだろうと信じて疑わずに計画を
スタートさせたことこそが、そもそも最大の誤りであった。


d0149706_10471597.jpg 建築の設計という作業は、施主と設計者が共に共通の価値観をもって進めた時でなければ良い結果が得られない。まさに施主と設計者との信頼関係が事の成否の分かれ目である。しかし誠に、言うは易く行なうは難し。家族間の甘えもあるしわがままもある。専門的には正しい事象でも、尊敬と信頼のないわが妻や子供達を説得することがいかに難しいことか。特に住まいに関することは身近な生活そのものであるから、それが正しい見識かどうかはさておき、各人それぞれの意見や感じ方や大いなる夢があるのは当然だともいえる。







その意味でも、敢えて設計を第三者に依頼するやり方も検討に値したかもしれないと今にして思う。基本設計までは自分自身でやるとしても、少なくとも実施設計と監理業務については第三者にまかせて、自分は施主の一人としての立場に徹していれば、家族間の意見の調整を含めてもっと自分の想い通りの建築ができただろうという気はする。少なくとも孤軍奮闘することなく、もうひとりの設計者と共同戦線をはれた可能性はあったはずである。

第三者の設計者に依頼する方式はもっと直接的なメリットも無視できない。設計行為といえども経済的な裏付けがなければ意味をなさない。今回のように施主であり設計者であり工事監理者でもある立場は、いわば投げたボールがグルッと回って自分の頭上に落ちてくる構造なわけであり、当然資金面の責任から逃れられない。ところが住まいづくりに設計変更はつきもの。資金と要望事項を提示して後の調整を設計者にまかせてしまえば、その経済的メリットは多少の設計監理料などすぐにおつりがきてしまう程のものである。

一般の施主の立場からしても、施工業者と直接相対するのではなく、設計監理者を自分のパートナーとすることは、通常考えられている程度以上にメリットがあるともいえる。もちろん有能な設計者に依頼するという前提条件付ではあるけれども。

実は我が家はいまだ完成していない。当初の設計意図はソーラーハウス。効率よくソーラーパネルを取り付けるべく南面勾配屋根を採用しているにもかかわらず、肝心のソーラーパネルは経済的理由でいまだ設置に至っていない。


d0149706_10472494.jpg今ひとつは庭づくり。この部分は当初から手作りをモットーに少しずつ体裁を整えるべく日々格闘しているが未だ道半ば。というよりやっと一歩踏み出したばかりである。とにもかくにも植えた幼木が育ってくれないことにはどうしようもない。年月という時の恵みがなければ、如何ともし難いのである。しかし出来ばえはともかく、日々成長していく樹木や草花の命とふれあう楽しみを再認識したことは、自分自身の再発見でもあった。それは幼年時代以来長い間久しく忘れかけていた「あの感覚」を、なつかしく思い出した感じでもある。
                 (岡本 光生)
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by kaitekikuukannb | 2005-10-01 00:45 | コラム「住まいづくり雑感」
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