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by kaitekikuukannb
マンション業界の体質と消費者の安全神話
すべてのマンション業者がそうだというわけではないが、各種の広告媒体等でいかに美辞麗句をならべてみたところで、その本質は「経済合理主義の貫徹」がすべてに優先しがちである。法を犯すのは論外だとしても、建物の安全性が法を犯さない最小限に抑えられていたとしても誰も文句は言えない。逆に言えば激しい市場競争にさらされている業界にあって、間取りや広さや仕上げで究極の合理性を追求したとしてももう限界に近く、ほとんど他社との差違を見いだすことは難しい。そして最後に残った聖域が建物のすなわち構造部分だったというわけである。

かの業界の宣伝文句を思い出してほしい。曰く、「このマンションは地震に強く、国が決めた耐震基準を満たしています。」

しかし問題は国が決めた耐震基準を満たすかどうかは、設計を担当した構造建築士の「専門的工学的判断」に相当程度左右されるものであるということを、一般消費者や大多数の国民が認識していないことである。すなわちほとんどの人々は、国が決めた建物の安全性に関する絶対的な基準があり、このマンションはその基準を満足しているのだと思っている現実がある。そしてそのお墨付きを与えるものが「確認申請済」の公文書なのだと。

しかし現実の建築関係諸法では、確認申請審査機関にそこまでの責務を負わしてはいない。

一方消費者の側にも、「マンション構造安全神話」ともいうべき悲しい思い込みがある。

例えば、1000万円のベンツと100万円の国産車とを比較した場合、車のユーザーは当然のこととして両者の車の安全性に関して同等程度のものだとは思っていないだろう。

すなわち事実として両者の車には安全性に関して差違があって当然であり、それが価格にも反映されているものと当然に考えられているのである。しかるにマンションの購買者はどうだろう。彼らはえてして、安いマンションも高額のマンションも構造の耐震安全性に関しては同等程度にあると信じて疑っていないとみるべきである。曰く「国の耐震基準を満たしている。」しかし現実はそうではない。安価なマンションはそれだけの安全性しかないのは自明の理である。この消費者の「構造安全神話」が金儲け至上主義のデベロッパーの格好の口実になり、構造躯体がマンションの工事費減額競争のただ中にひきずりだされたと見ることが出来る。そしてその行き着く先が、法を犯してまでも金儲けに走った今回の事件であろう。
# by kaitekikuukannb | 2005-12-01 00:49 | コラム「耐震構造設計偽造問題」
構造設計の現状と建築確認審査業務

各種報道情報だけの判断ではあるが、一連の事件の情報を見聞きするにつれ、今回おもしろいことに気が付いた。それは今回事件のほとんど中枢にいるであろうと思われるデベロッパーの経営者達が、確認審査制度の現実や構造設計の実際をほとんど理解していないように思われることである。

よく考えてほしい。マンション住民はもちろん最大の被害者ではあるが、しかしながら今回の結末で一番経済的に負担を追うのは結局デベロッパーそのものである。「住宅品確法 」の存在はいくらなんでも知っているはずだとすると、今回のようにまったく明らかな欠陥住宅を販売すれば、自分にすべて賠償責任がかかってくることは知っていたはずである。それは明らかに自殺行為である。にもかかわらずそんな欠陥住宅を販売し続けたのはなぜか。答えはひとつ。彼らは自分達が販売しているマンションの安全性に、根拠なく全く疑義を挟まなかったからである。建築確認審査への根拠なき盲目的信頼というべきか。しかしこの問題は確認申請審査業務の本質を国民に理解させる努力を怠っていた建築行政にもまた責任の一端があるはずである。

現在の構造設計の考え方は性能設計が主流である。

一方工学的にいえば、建築物は複雑系であり、理論的に解析するためにはモデル化によるシミュレーションの手法を用い、そして最終的に安全率を「工学的判断」で勘案する。

昨今建築構造学が格段に進歩したとはいえ、現時点において複雑系の建築物の地震時の挙動について、厳密に数学的に解答が得られている訳ではないのである。だからこその「モデル化と安全率と工学的判断」なのである。

一連のマンションやビジネスホテルの構造設計の確認申請審査はどのようにして行われているのか。法に定めたやり方は「国認定の構造ソフト」を使っていれば計算書類を簡略化できるなど、構造計算の中身までの厳密な審査を求めてはいない。そして入力条件の考え方は大部分構造設計者の専門的判断に委ねられているところが大きい。構造設計者性善説である。この事情を知らない国民は官民を問わず発覚している偽造計算書の見逃し問題における関係者の言説を言い逃れと受け取っているようだが、当事者にも言いつのる少しばかりの理由があることは理解出来る。ただし、そうだとしても偽造を見過ごした責任がすべて看過されるというものでもない。いずれにしてもそこには確認審査制度の構造的欠陥の一端が見て取れる。

一方、構造計算におけるモデル化と入力条件の算定にも微妙なしかし重大な危うい問題をはらんでいる。

現実の建築物と似て非なるモデルを正しいと言いつのる「悪い構造設計者」がでてくれば、ほとんど合法的に建築確認審査を通り、合法的に安全性に問題があるかもしれない建物が量産される可能性があるということである。これは単純な構造計算書偽造問題以上の重大な社会的問題を含んでいるとも思う。しかし現状の建築関係法の元ではあながち荒唐無稽な作り話ともいえないのである。
# by kaitekikuukannb | 2005-12-01 00:48 | コラム「耐震構造設計偽造問題」
今後の方策

犯罪者はもちろん悪いが、極論すればどこの世界にも悪人はいるのである。その悪人を如何にして制御するかそれが危機管理であり法の精神である。

一連の事件の経過をながめると現在の我が国の建築関係法の矛盾、建築行政の矛盾、建築確認審査制度の矛盾、そして職能としての建築士制度の矛盾が透けて見える。

一方もちろん金儲け至上主義のマンション業者は善良な消費者の敵には違いないが、世の中にはそんな御仁がどの業界にもゴマンといるものである。今回の事件を見聞きするにつけ、彼らにつけ込まれるだけの構造的欠陥が建築設計を取り巻く社会システムにあったといわざるを得ない。

今回被害に遭われたマンション住民にとっては、安全で安心だと確信していたにもかかわらず、結果として安全性に疑問があるとんでもないマンションをだまされて買わされてしまったという事実だけが残ってしまった。建築設計者、マンション業者、建設業者、民間建築確認審査機関のみならず、市、県、国までもが意図的か否かにかかわらず、結果としてこの複雑な「サギ事件」に加担していた構図が浮かび上がってくる。

今やほとんど社会的パニック前夜の様相を呈し始めた。国民のほとんどは何を信じていいのか判らない状態だと推測される。とりあえず、緊急避難的な対処療法ではあっても何らかの対策が早急に必要である。建築確認審査の強化と運用の見直し、構造設計基準の運用の見直し、そして何より被害に遭われたマンション住民への対応等々。

何よりも、建築生産や住宅供給システムの安全で安心できる社会システムを早期に再構築することが大事であり、それが消費者、国民のみならず結局のところ関連する業界にとっても健全な発展の基礎となるはずである。

いろいろな方策が今後検討されるものと思われるが、ただしその方向性は決して間違わないでいただきたいと切実に思う。

官から民への方向性は正しい。

民間審査機関を認可したことは間違っていない。

構造設計を仕様設計から性能設計へ踏み出したことは正しい。

ただしそれらの制度を支えるバックボーンは建築士職能制度の確立である。まさに、我が国の建築関係法の現状は「仏作って魂入れず」の状態なのである。

一連の事件の主役の一人は間違いなく構造建築士を含めた建築設計者である。

事業主に支配され続ける構造建築士や建築設計士。この構造を改めない限り、無理難題を押しつける事業主の圧力から逃れる術をもたない弱い立場の設計者は、技術者としての良心や倫理観と現実の狭間で悩みつづける。

日常の設計業務を行っていて、つくづく思うのは建築士あるいは設計者の社会的立場の弱さである。現行のように事業主から設計報酬をもらう制度の元では、現実問題として専門家としての独立した正しい判断を下すのは極めて難しい状況が散見される。建築の生産システムが市場経済に組み込まれつつある現状ではなおさらである。そこでは個人的な設計者あるいは専門技術者としての倫理観のみが最後の砦である。現在の我国の法制度下では、建築士はほとんど武器をもたず丸裸のまま社会の荒野をさ迷うに等しいといっても過言ではない。専門家としての職業的倫理観を高くもってことにあたれ、ただし生活の保障はしない。これが現実の姿である。

今こそ時代に見合った建築士職能制度の確立が必要であり、その好機である。

建築設計監理を生業とする一人としては、建築士職能制度の確立と見直しの一方策として「設計監理料の公的報酬システムの確立」とその具体案の検討を是非とも切望するものである。例えば医者の世界では「診療報酬制度」がある。診療報酬を患者から直接もらうのではなく、国あるいは保険制度を活用して支払いを受けとる制度である。同じようなシステムを構築できれば、建築士の経済的自立と身分保障が確立されると考える。

建築士の経済的自立と責任ある職能人としての職業的倫理観の確立は表裏一体であり、自己研鑽は当然必要だとしても、少なくとも建築士は国民の生命と財産を守る一翼を担っているのであり、その身分は社会制度として保証されてしかるべきと思われる。
# by kaitekikuukannb | 2005-12-01 00:47 | コラム「耐震構造設計偽造問題」
コラム「住まいづくり雑感」

住まいづくりは家族づくりの第一歩であり、終わりのない始まりである。

先年、縁あって名古屋市近郊に、小さいながらも念願の自宅を新築する機会を得ることができた。私は建築の設計を生業にしている建築家のはしくれ。それゆえ自宅の設計ともなるとやはり想い入れは人一倍強くなり、自ずと意気込みも違ってこようというものである。

計画当初は、願わくば建築家の自邸とかで建築雑誌に発表できればいいなと、ひそかに想い描いてもいたが、それは設計が進むにつれて、次第にしかし確実に脆くも崩れ去ってしまった。建築家としての力量不足。もちろんそれが最大の原因のひとつには違いないが、しかし結局のところ、住まいづくりは家族の有り様を知らしめてくれる試金石であり、それは現代社会の有り様と否応なしに向き合うことでもある。

私の家族達は皆それぞれ、あまりに凡庸かつ善良でおまけに自己主張が強いときている。提示する計画案は、あわれ彼らの意見の前にズタズタにされ、結果は高尚な建築雑誌ではなく、巷にあふれる住宅ファッション誌に出てきそうな凡庸な住宅建築が出来上がってしまった。しかしながら、これが我が家の家族ひとりひとりの住まい観の総和だとすれば、建築家というよりもまずは一家の主として、その結果を甘んじて受け入れざるを得ないのである。

それにつけても人間の欲望には果てしがない。しかもひとりひとりの欲望の対象が違う。そしてそれを助長する現代社会のこの情報の大洪水。長年同居生活をしてきたひとつの家族でさえこうなのだから、後は推して知るべし。現代日本社会の生活様式の多様化、価値観の多様化というよりもその混乱ぶりはここまで来てしまった。果たしてこの混乱を収束させる術はあるのだろうか。それは大袈裟に言えば、地球規模あるいは人類史的な視点からのひとつの主体的倫理観のようなものを、お互いに共有できるかどうかが問われているといってもいいのかも知れない。

そうはいっても、具体的に計画を進めていくためには、家族のすべてが最大公約数的に共有できる指針あるいはコンセプトをまとめなければならない。ちなみに計画当時の我が家の家族構成は、時々パートタイマーの妻と高校二年生の長女、中学二年生の次女そしてわたしの実母の五人家族。少し、いや圧倒的に女性陣が優勢とはいえ、世間一般によくある平均的な家族構成といえるかもしれない。

住宅は木造に限る。これはほとんど根拠のない妄信に近いが家族全員の総意なのだから仕方がない。しかも普段どちらかといえば鉄骨造や鉄筋コンクリート造の建物の設計が多い当人も隠れ木造派なのだから、これは如何ともしがたい。

平面計画の基本は、ひとつ家族だんらんのスペースを最優先させること、そして料理と食事のスペースを生活の中心にすえること。これは多分に三世代同居の女性陣優勢な我が家の素直な意見の反映である。その結果、個室はほとんど寝室機能のみとして最小限のスペースにとどめ、家族の日常生活を最優先して年に数回程度の使用しか見込めない客間は設けず、その分だんらんスペースを広く取ることとした。日常動線の中心にだんらんスペースを設けて、個室への動線は必ずだんらんスペースを通るようにすること、キッチンを住まいの中心に配置すること等が意見集約された。





コラム「住まいづくり雑感」 _d0149706_10464454.jpg

結果は設計意図どおりほぼ満足のいく出来ばえだったにもかかわらず、住み始めると各人の満足度はそれ程でもない様子。設計者からみれば余程贅沢に広くしつらえたつもりのキッチンスペースがそれでもまだ狭いらしい。娘達はあっという間に成人となり、了解していたはずなのに自室の狭さが気に入らない。それでも時々は親子でキッチンに立ち、家族全員でワイワイガヤガヤ食事ができるのを見れば、全体的にはまずまずの成果というべきかもしれない。

コラム「住まいづくり雑感」 _d0149706_10465491.jpg私達はただ明るいだけの均質な光環境に慣らされすぎてしまったのかもしれない。照明はできるだけ部分照明を多用して陰影を際立たせること。昼間は自然採光を旨として、陽の光や季節の移り変わりが実感できるような採光計画とすること。ただし設計者の崇高な啓蒙的意図に反して、この考え方は、妻も含めた年寄り達には今もってあまり共感が得られていないらしい。

日本の住宅は、夏は夏らしく冬は冬らしく、四季折々の寒暖の移り変わりを楽しむ心構えが大切である。その上での補助的な冷房であり暖房であると心得るべきである。ともすれば冷暖房共に効きすぎに陥りやすいから注意が必要である。ただし住まいの気密性と断熱性を
高めることは必要最低条件である。

コラム「住まいづくり雑感」 _d0149706_1047523.jpg日本の住まいは夏を旨とすべし。住まいの基本は換気であり風通しである。特に近年は各種建材から多かれ少なかれ発生するVOC対策いわゆるシックハウス対策としても換気が極めて重要である。

立地が都市近郊の住宅地ということもあるが、防音性の高いサッシを使用したことで外部騒音の遮断にはほぼ成功した。ただし室内遮音対策には思わぬ落とし穴があった。それは上下階の遮音性能で、特に二階廊下と階段の足音はほとんど制御不能状態である。これは特に木造住宅でよく陥りやすい事象のようで、対策としては一階天井内部に遮音材をいれる工夫が是非とも必要である。

意図した訳ではなかったが、結果として吹き抜け部分や天井の高い室内空間は音の響きが素晴らしく良い。吹き抜け空間の是非については好き嫌いもあって議論の分かれるところだが、室内音響的な視点からの議論があってもよいのではないかと思える。

住まいづくりは予想以上に悪戦苦闘の連続であった。その最大の要因は不覚にも我が家族間のコミュニケーション不足である。まがりなりにも建築家のはしくれを任じている一家の主と、長年ひとつ屋根の下で生活してきた妻や子供達なのだから、何も言わずとも住まうことに
関する共通の価値観を共有しているだろうと信じて疑わずに計画を
スタートさせたことこそが、そもそも最大の誤りであった。


コラム「住まいづくり雑感」 _d0149706_10471597.jpg 建築の設計という作業は、施主と設計者が共に共通の価値観をもって進めた時でなければ良い結果が得られない。まさに施主と設計者との信頼関係が事の成否の分かれ目である。しかし誠に、言うは易く行なうは難し。家族間の甘えもあるしわがままもある。専門的には正しい事象でも、尊敬と信頼のないわが妻や子供達を説得することがいかに難しいことか。特に住まいに関することは身近な生活そのものであるから、それが正しい見識かどうかはさておき、各人それぞれの意見や感じ方や大いなる夢があるのは当然だともいえる。







その意味でも、敢えて設計を第三者に依頼するやり方も検討に値したかもしれないと今にして思う。基本設計までは自分自身でやるとしても、少なくとも実施設計と監理業務については第三者にまかせて、自分は施主の一人としての立場に徹していれば、家族間の意見の調整を含めてもっと自分の想い通りの建築ができただろうという気はする。少なくとも孤軍奮闘することなく、もうひとりの設計者と共同戦線をはれた可能性はあったはずである。

第三者の設計者に依頼する方式はもっと直接的なメリットも無視できない。設計行為といえども経済的な裏付けがなければ意味をなさない。今回のように施主であり設計者であり工事監理者でもある立場は、いわば投げたボールがグルッと回って自分の頭上に落ちてくる構造なわけであり、当然資金面の責任から逃れられない。ところが住まいづくりに設計変更はつきもの。資金と要望事項を提示して後の調整を設計者にまかせてしまえば、その経済的メリットは多少の設計監理料などすぐにおつりがきてしまう程のものである。

一般の施主の立場からしても、施工業者と直接相対するのではなく、設計監理者を自分のパートナーとすることは、通常考えられている程度以上にメリットがあるともいえる。もちろん有能な設計者に依頼するという前提条件付ではあるけれども。

実は我が家はいまだ完成していない。当初の設計意図はソーラーハウス。効率よくソーラーパネルを取り付けるべく南面勾配屋根を採用しているにもかかわらず、肝心のソーラーパネルは経済的理由でいまだ設置に至っていない。


コラム「住まいづくり雑感」 _d0149706_10472494.jpg今ひとつは庭づくり。この部分は当初から手作りをモットーに少しずつ体裁を整えるべく日々格闘しているが未だ道半ば。というよりやっと一歩踏み出したばかりである。とにもかくにも植えた幼木が育ってくれないことにはどうしようもない。年月という時の恵みがなければ、如何ともし難いのである。しかし出来ばえはともかく、日々成長していく樹木や草花の命とふれあう楽しみを再認識したことは、自分自身の再発見でもあった。それは幼年時代以来長い間久しく忘れかけていた「あの感覚」を、なつかしく思い出した感じでもある。
                 (岡本 光生)
# by kaitekikuukannb | 2005-10-01 00:45 | コラム「住まいづくり雑感」
コラム「自作自演」

今春、思いがけず設計事務所を創業、主宰することになった。

サラリーマンアーキテクトのまま悠々自適の老後を夢見ていたというのに、
これで有無を言わさずに「生涯現役の建築家!」。
人生は不可解、なかなか想い通りには展開してくれない。

今、創業期のドタバタで好きなゴルフにも身が入らず、
唯一の癒しの時は一杯の缶ビール片手に、
自宅ベランダで満天の星空を見上げながら至福の時を過ごすこと。

そういえば、家族の不評にもめげず、我家のリビングにはエアコンがない。
風通しのよい吹抜け天井と昔ながらのヨシズと風鈴と打ち水で、
涼をとることを旨とする自宅設計者の心意気というべきか。
それゆえ毎晩のごとく、
夕涼みならぬ「深夜涼み」を洒落こむという次第なのです。

夜空を見上げていると、想いは自然に「宇宙空間」へと拡がっていく。
このかけがえのない地球、太陽系、銀河系そして全宇宙・・・・・。
「人はどこから来たのか、何者か、どこへいくのか。」
それにしても、最近の物理学と宇宙論の進歩はまことにめざましいものがある。

つい最近も「超対称性粒子」の発見かという、
宇宙論マニアにとって垂涎もののニュースが全国紙に大きく報道された。
宇宙創生の謎あるいは宇宙空間の最大の謎とされる、
ダークマターやダークエネルギーの解明がまたれる。

最近得た知識だが、
実は宇宙の「宇」は家屋の軒のこと、
そして「宙」は家の棟木と梁のことをさすらしい。
してみると建築の世界の住人が「宇宙」に想いをめぐらすことは、
あながち的外れなことではないのかもしれない。

それにしても、人類にとってこの広い宇宙で本当に「快適な空間」は、
この太陽系のこの地球以外にないのだとつくづく思う。

新会社は「快適空間研究所」と命名した。
そして自戒の念をこめて、
社訓を「悠々として急げ」とした。
# by kaitekikuukannb | 2004-10-01 00:43 | コラム「自作自演」
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